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インタビュー
2022年12月1日

安価で高品質な板金溶接加工 創業20周年経営業と母親業を両立し社員と家族の生活を守る

大連城山金属加工有限公司 総経理

徐 彦彬氏

 遼寧省営口市出身。錦州の渤海大学卒業後。2002年大連城山金属加工有限公司に入社し、大連へ。設計士として入社し、14年総経理に就任。株式会社城山製作所の代表取締役山下隆行氏と08年入籍し、現在2人の子どもと大連で暮らしている。

大連城山金属加工有限公司はどのような会社ですか

 大連城山金属加工有限公司は2002年10月に設立した金属加工の会社です。日本静岡県に本社をおく株式会社城山製作所の独資子会社で、本社の城山製作所は1988年8月1日に設立しました。鈑金部では精密機械・工作機械・木工機械及び産業機械等のカバー・フレーム・部品などの鈑金部品全般を製作しています。建材部ではアルミ・スチール・ステンレスの内外装パネル、照明ボックス、ブラインドボックスなどの建築金物全般を製作しております。独資子会社で受注・生産管理業務を行っているため、円決済及び日本の商習慣に基づいた取引を行うことができ、品質保証の面においても高い評価を頂いています。

企業の特徴を教えてください

 「お客様に安価で高品質な製品を短納期で供給する」を経営理念とし、ものづくりに励んでいます。海外拠点ならではの低コスト生産と日本の技術力を生かし、安価かつ高品質な製品を皆様へご提供しています。

とくに建築物用の製品生産には自信があり、これまで東京プリンスホテル、フジテレビ、京都駅、新大阪駅、東京ビッグサイトなどを一例に、多くの日本の建築物に製品を納品しています。

総経理へ就任された経緯を教えてください

 私は大連城山金属加工有限公司の創立時2002年に設計士として就職しました。日本本社である株式会社城山製作所の代表取締役山下隆行は私の夫です。彼と2004年に日本での技術研修で初めて会い、2008年に結婚し、2009年から少しずつ管理の仕事を受け継ぎ始めました。そして2014年、総経理を勤めていた義理の叔父(夫の父の弟)の定年退職を機に私が総経理に就任しました。

 2014年までは日本人駐在員が常駐していたのですが、私の総経理就任と同時期に常駐の日本人がいない体制となりました。コロナ後は出張で本社から人が来ることも難しくなりましたが、創立当初からの技術指導や管理が受け継がれ、日本式の品質の高い製品を生産し続けることができています。

総経理に就任して困難はありましたか

 日本本社は夫の父が立ち上げた会社です。私が総経理に就任する前は、大連側は夫の父の弟が総経理を勤めていました。彼の定年退職に伴い私が就任しましたが、困難は山のようにありました。私は元々前に出ていくタイプの性格ではありません。社内の管理や営業面では難しいと感じることが度々ありました。一方で創立当時から設計に従事し、日本への研修で広く学んだ経験もあり、会社の業務を熟知していたので業務面で困ったことはありませんでした。

女性の総経理として大変なことなどはありますか

 女性だから大変だというのはあまり感じたことがありませんが、子育てをしているので、夜の食事会に参加したり、他業種の方と交流を深めたりといった機会を設けるのが難しい点はあります。日中に開催されるイベントなどに今後は参加してみたいと思います。

工場移転について

 2019年に現在の工場へ移転しました。以前は東北三街の賃貸物件に拠点を構えていたのですが、賃貸物件では自由に老朽化などを保全することができません。そのタイミングで現在の工場の物件に空きがあり、我が社で買い取って工場を移転することに決めました。それまで商業施設なども近くにあり便利だった工場を現在の小窯港付近に移転することで社員が離れてしまうのではないかという懸念もありましたが、ほとんどの社員が退職することなくついて来てくれたのはよかったです。

長く勤めている社員が多いですか

 私と同じように設立当初から働いている社員が10人以上おり、また10年以上の勤務歴を持つ社員も多いです。溶接は高度な技術が必要な業務ですが、熟練の技術者が多数在籍していますので、安定した品質で生産ができます。家族のような存在であり、社員の存在にとても感謝しています。一方で製造業は若い人材を集めるのが難しく、新しい人がなかなか見つからないという困難もあります。

社内でイベントなどを開催することはありますか

 バーベキューなどの社内イベントを毎年開催しています。今年は20周年を迎えますので、12月に社内に会場を設営し、記念パーティーを開催します。記念コインを発行して社員へ贈呈したいと考えております。

日本語が流暢ですが、どのように学びましたか

 私は学生時代に日本語を学んだことはなく、会社に入社してから学びました。設計に使うソフトウェアの言語が日本語で、指導をするのも日本人ですから、日本語を使わない訳にはいきませんでした。また技術や会社の業務を学ぶために何度も日本を訪れ、2ヶ月から3ヶ月程度滞在することもありました。日本語教室に通いながら仕事で使ううちに身についていきました。簡単なコミュニケーションや板金関連など業務に関する単語は問題ありませんが、それ以外は得意ではありません。

日本企業に入社したのはなぜですか

敢えて日本企業を選んだ訳ではなく、ほとんど偶然です。大学では今の業務とは全く関係のない旅行業界を専門として学びました。卒業後にどのような会社に入るか悩んでいた時に、親戚に同社の立ち上げ社員の求人があると紹介され、面接を受けたのがきっかけです。旅行業界を専攻したものの、いざ就職先を考えると、旅行会社やガイドなどの旅行関連の仕事はあまり向いていないと感じていました。むしろじっくりと作業に取り組むような仕事、まさに我が社の設計のような仕事が向いていると思い入社しました。しかし、まさか自分が将来その会社の日本人と国際結婚をし、大連拠点の責任者になろうとは当時は夢にも思いませんでした。

ご結婚後の印象的なエピソードはありますか。

私たちは日本と中国の国際結婚で、結婚式は中国で挙げました。中国の結婚式といえばまず式の前に記念写真を撮影します。その撮影も夫にとっては相当なカルチャーショックだったようですが、もっと彼を驚かせてしまったのは結婚式当日、その結婚写真を大きく拡大したパネルが室内に飾られていたことです。中国ではいたって普通ですが、日本にこのような文化はありませんよね。冗談抜き気を失うかと思ったほどのショックだったそうです(笑)。

ご家族のコミュニケーションの言語はなんですか

私と夫は基本的には日本語で、2人の子どもはインターナショナルスクールに通っているので、夫と子どもは英語でコミュニケーションを取っています。子どもの吸収力には本当に驚かされます。私は大学まで英語を学んでいましたが、会社に入ってからずっと使っていないので、子どもたちの英語は今や私よりずっと上手です。

日本に対する印象

何度も日本を訪れましたが、日本文化はあえて馴染む必要がないほど、私にとって自然に受け入れられるものでした。うす味の料理が好きなので、日本料理も美味しくて好きです。そして日本の食品や商品は安全で信頼できます。いつか仕事を引退した際には日本に引っ越して長く住みたいと思っています。

実は私が総経理に就任する際にも、大連の業務機能を全て日本に移すという案もありました。しかし一緒に頑張ってきた社員の雇用を守り、生活を守っていくためにも、この大連城山金属加工を私が守って行かなければならないと決めて総経理を引き継ぎました。

今後の計画

以前は中国国内の日系企業から受注した製品及び日本国内への輸入品を生産するだけで十分に収益が出せていました。コロナ禍やさまざまな要因で今後日本から仕事を受けるだけでは不十分になっていくだろうと考えられます。これからは日系企業だけではなく、中国現地のお客様を開拓していきたいと考えています。そのためにWeChatのミニプログラムを開発したり、ホームページを設立したりと新たな情報発信のプラットフォームを構築しています。また他の日系企業との交流も増やしていきたいですね。私たちは100%投資の日系会社ですが、知らない人も多いのではないかと思います。このインタビューも知ってもらえるきっかけになれば嬉しいです。

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