ミスチャイナドレスコンテスト2023、ミスマンダリンジャパンコンテスト2023グランプリ
能﨑 愛さん
プロフィール
山梨県出身。20歳。大学1年生。2歳から12歳までの10年間を中国上海で暮らし、現在山梨県在住。アナウンサーを志し、大学に通う傍らアナウンサー養成学校に通っている。2022年8月ミスチャイナドレスコンテスト2023グランプリ、2022年12月ミスマンダリンコンテスト2023グランプリ受賞。
8月のミスチャイナドレスコンテスト、12月のミスマンダリンジャパンコンテスト(以下、ミスマンダリン)優勝おめでとうございます。
ありがとうございます。2冠を取れたことで大きな自信に繋がりました。実はその前に大きな挫折を経験し、自信を失っていましたが、それを乗り越えていい結果を出すことができてよかったです。
コンテストに参加したきっかけを教えてください。
私は2歳から10年間、父の仕事の関係で中国上海で生活した経験があります。それを生かして日本と中国に関わることに挑戦したいという思いがありました。このコンテストの入賞者には日中友好大使としてのお仕事がいただけると知り、挑戦することにしました。12月のミスマンダリンへの挑戦を見据えていたのですが、その前にミスチャイナドレスがあると知り、どちらにも参加しました。ミスコンは様々なものがありますが、日中両方に関わることのできるコンテストはマンダリンコンテストだけです。
大きな挫折とはどのような経験だったのでしょうか。
私は高校2年生から3年生にかけて、宝塚音楽学校への受験に挑戦しました。結果は2年とも不合格でした。幼い頃から入学を目指している人も多く、私は目指した時期が他の人と比べると遅かったのですが、全てをかけて挑み、2次選考までは進むことができました。しかし、必死で努力したにもかかわらず不合格だったことは、非常に大きな挫折でした。
挫折をどのように乗り越えましたか。
自分と向き合い、新しいことに挑戦していく中で、挫折を経験として昇華できたのだと思います。
もちろんすぐには乗り越えられませんでした。このコンテストの存在を知った時も、初めは自信がなく、コンテストに挑戦することを迷いました。その時に、宝塚を目指す過程でずっと支えてくれた恩師が「やってみたらいいよ!」と背中を押してくれたおかげで挑戦し、結果を出すことができました。
なぜ宝塚劇団員を目指したのですか。
祖母が宝塚ファンで、小さい頃から存在は知っていました。15歳の時に初めて観劇して、強烈な衝撃を受けて「私はここに入りたい!」と思ったからです。そして恩師と出会い、宝塚音楽学校の受験を迷った時から応援して頂いていました。不合格だった時も「これも素晴らしい経験で、未来に生きる」と言ってくれました。当時はショックのあまりその言葉を信じることができませんでしたが、今となってはあの失敗があったから今の私があると自信を持って言えます。今も宝塚観劇は私のライフワークの一つです。
チャイナドレスコンテスト、ミスマンダリンコンテスト2冠という結果を残せた要因はなんだと思いますか。
これまでの経験で学んだことを活かせたことだと思います。挫折もそうですし、宝塚に挑戦した過程など、これまで経験したこと全てが私自身の糧になるということを学びました。幼少期に中国で過ごした経験が今回のミスマンダリン、そして受賞後に頂いた中国関係の仕事にも繋がりました。そして宝塚を目指す中では、人としてのあり方を学び、またファッションやメイクなど美しさに繋がる知識も学びました。コンテストでのドレスアップやメイク、ウォーキングなどの審査に宝塚挑戦で培った経験が生きたのは言うまでもありません。そしてミスマンダリンもこの先に活きる経験だと確信しています。
アナウンサーを志していると伺いましたが、きっかけを教えてください。
宝塚の劇団員という夢に敗れ、新たな目標を探しました。自分の長所を考え直した際に、宝塚に挑戦する過程では、「アナウンサーに向いている」と言われることが多かったのを思い出しました。また私は小さな頃から人前に出ても緊張しない性格で、中国でスピーチ発表会に参加するなどした時も全く緊張しなかったものです。それらを考慮し、私の性格や特性を活かせるのはアナウンサーという仕事だと思いました。現在は大学に通う傍らアナウンサー養成学校に通っています。
中国で暮らした経験で現在に影響していることはありますか。
中国だから特に何かと言うことはないのですが、中国を含め様々な環境で生活する中でどのような環境でも馴染めるタフさが身についたと思います。
中国にいた頃はインターナショナルスクールに通ったり、日本人学校に通ったりする中でいろいろな中国人、日本人と関わる機会がありました。中国では全校1500人の学校に通っていて、日本に戻ってからは地元山梨の全校19人の学校に通うなど環境も大きく変化しましたが、どこでも馴染むことができました。日本に帰国してからは自然豊かな山梨県から大都市の東京都内まで通学すると言う生活を続けています。こういった環境も私の物怖じしない性格形成に影響しているのかもしれません。
どんなアナウンサーになりたいですか。
いろいろな環境に身を置き、いろいろな人と関わってきた経験を活かして、多くの人の思いに寄り添い、発信することのできるアナウンサーになりたいです。
中国に関わるお仕事はどのようなものですか。
中国に関連性のある企業のPR動画に出演しました。また、日中の情報発信をしているYouTubeチャンネルで上野で開催された春節祭のリポーターを務めました。今後も日本と中国に関係のあるイベント、企業案件は積極的にお受けして行きたいです。
今後の目標を教えてください。
大学在学中の時間は貴重な時間だと思います。この貴重な時間を使ってどんどん新しいことに挑戦していきたいです。コンテストをきっかけにいただく日中関係のお仕事や、日中友好大使としての仕事の他にも、SNSを活用して様々な発信を行っていきたいと思います。ぜひ今度は一度大連にも行ってみたいと思います!大連の皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。
今後Whenever大連で能﨑さんによる、日本のトレンド情報連載を掲載予定!お楽しみに!