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インタビュー
2021年12月7日

誠実一番、鮮度命!“疫情后”の商機掴み、 世界の美味しい魚を日本と中国の食卓へ

【プロフィール】

マルハ(上海)貿易有限公司大連分公司 総経理
吉川 俊介(よしかわ・しゅんすけ)氏

1966年生まれ、長野県千曲市出身。麗澤大学外国語学部中国語学科卒業。在学中の1988~89年に在北京日本大使館に派遣員として2年勤務。大学卒業後、1991年大洋漁業(現マルハニチロ)に入社。中国貿易を担当し、2003年から2010年、マルハ(上海)貿易有限公司で勤務。2016年、マルハ(上海)貿易有限公司大連分公司総経理に就任し現在に至る。

 マルハ(上海)貿易有限公司大連分公司はどのような会社ですか。

 親会社のマルハニチロ株式会社は、2007年にマルハとニチロが経営統合した『総合食品企業』です。漁業養殖から水産商事、食品加工・化成食品・冷蔵保管・畜産商事などを核とし事業を展開しています。
 大連拠点は1983年に駐在員事務所として設立しました。その後2012年に現地法人としてマルハ(上海)貿易有限公司大連分公司を設立しました。大連産ワカメ、丹東産アサリの買付をはじめ、北米産骨なし切り身や台湾海峡産のアジフライ、ノルウェー産のシシャモ・サバの加工、ペルー産アカイカ、東シナ海産マイカ、などを取り扱っています。

 中国国内の販売比率は増えていますか。

 これまでは日本向けが9割以上でしたが、コロナ禍後は内製化の動きが出ています。カニの食感や味に極めて近い高級カニカマなど日本から輸入し販売していた商品を国内で水産原料を調達して生産しようとする企業が増えて来ています。このコロナ禍の経験から、今後もこの流れが続くものとみています。当社としても、アフターコロナに対応した国内販売を増やしていく方向です。

 中国の変化について教えてください。

 水産業の視点から見ると、漁場から工場、市場への変化です。弊社と中国との関係を遡ると、初めは「漁場」として中国を捉えていました。つまり日本の漁船が中国の海まで行き、魚を獲っていたのです。その後、漁船の出入りが出来なくなってからは、中国の業者から買い付けるようになります。さらに、人件費の安さを生かし、中国や世界で水揚げされた魚を中国国内で加工する「工場」へ変化しました。そして近年は国内の経済発展により工場から海のお魚を食べる「市場」へと変化しています。

 漁業全体で近年変化はありますか。

 世界的な水産物需要の高まりや、温暖化現象等により、水産資源は減少傾向にあります。そのため世界では、国による管理漁業や養殖業の推進が行われるようになっています。ノルウェーでは生態系を守るため3年間もの間、シシャモを禁漁にしたり、中国でも産卵期間を考慮して毎年数か月もの禁漁期間が制定されています。

 大連に拠点を置くメリットやデメリットはありますか。

 メリットとしては日本と関わりが深く日本語人材が豊富な点がまず挙げられます。そして三方を海に囲まれた半島という土地柄、地元の人は中国国内でも比較的に海の魚の扱いに慣れている点もそうですが、巨大な貿易港がすぐ近くにあり、一年を通じて気温が低い点も水産加工業においては大きなメリットとなっています。特に、大連には世界から原料を買付け、加工後に世界に向けて輸出する水産加工を請け負う工場が多くあり、これは他の都市にはあまりない業態です。
 一方で半島という立地は、国内販売における物流においてはデメリットでもあります。航空便で運べる水産物は限られていますので、陸上輸送がメインとならざるを得ません。

 中国との関わりを持ったきっかけは。

 高校時代に見たNHK特集“シルクロード”の影響を受け中国に興味を持ち、大学で中国語を学びました。当時はまだ中国と行き来した経験のある人も少なく、私には“四千年の文化”があるにも関わらず「未開の地」という印象があり強い魅力を感じました。“シルクロード”の映像の中で、現地の方が「明天再说吧(明日また考えればいいよ)」と言った言葉が忘れられません。受験戦争の真っ只中の自分に「明日また考えればいい」という発想が全くなかったので、物凄い衝撃を受けました。

 なぜ大洋漁業(現マルハニチロ)へ入社されたのですか

 父が東京水産大学出身だったこともあり、中国にも早くから進出した会社だったので選びました。入社が決まった時、父が誰よりも喜んでくれました。当時は中国語を学んだ日本人が少なかったので、入社してすぐに中国出張の機会がありました。最初は文化・習慣の違いに大変苦労しましたが、貴重な経験だったと思います。

 吉川さんの考える水産に関わるお仕事のやりがいとは何ですか。

 旬・鮮度を感じてもらうことがやりがいです。中国では経済発展と同時に刺身を食べる人が増えており、これまで知らなかった海の魚を知ってもらい、新鮮な状態で食べてもらうことにとてもやりがいを感じます。
 また自分の仕事が日本市場全体と繋がっている、日本の食を支えているという感覚を感じられるのもやりがいの一つです。日本には多くの中国産食材が輸入されています。例えば大連産で言えば、ワカメです。日本の10倍以上の量が大連で生産されており、大連のワカメが日本の味噌汁を支えていると言っても過言ではありません。

 中国に関わる仕事をする上でのやりがいは何ですか。

日本と中国で文化や考え方が全く違います。その違いを乗り越えて、力を合わせてプロジェクトを実現することは非常にやりがいを感じます。
 中国の急速な経済成長と通信手段の飛躍的な進化という大きな変化の中で、日中の文化習慣の違いを理解・尊重し、いろんな仲間と魚の商売が続けられていることが楽しいと感じています。

 中国勤務の中で一番困難だったことは何ですか。またどのように乗り越えられましたか。

 一番苦しい思いをしたのは、上海に赴任して数年目の時です。弊社として中国で初めて日本国産の「本マグロ解体ショー」をデパート内で行うというイベントを企画しました。そこで使うマグロの税関手続きが空港到着直後の書類紛失によりストップしてしまったのです。
 届かないマグロ、しかし会場に続々と集まってくるお客様。当時の私はまさに針の筵状態。開催しない訳にはいきません。急遽領事館や本社各部署と連絡を取り、書類を再発行。なんとか税関を通すことができ、30分遅れでしたが、無事にイベントを開催することができました。各方面に信頼関係ができていたので、親身になり迅速に対応してもらえました。日頃から人間関係を大切にすることの重要さを学びました。
 イベント自体は大盛況でした。当時マグロは高級料理店でしか扱われず、一般市民の集まるデパートでの開催は珍しいものでした。海の魚に触れ合う機会がなく、大きな魚を見たことがなかった皆さんにとって、非常にインパクトがあったようです。

 中国生活でこれまで特に印象に残った出来事や、特に好きな場所はありますか。

 子どもを連れてバスに乗ると必ず席を譲ってもらえることに驚きました。1回や2回ではなく、毎回です。中国では子どもやお年寄りに席を譲る習慣がごく自然に根付いていますね。

 特に好きな場所などがあれば教えてください。

 海のない長野県出身なので海のある景色に惹かれます。大連では浜海路。あれほど美しく海と道路が融合した場所は他にはないと思います。他には浙江省東北部の舟山(しゅうざん)島があります。舟山は港湾が多く、漁業が盛んなことで有名な街ですが、海を望む景色が非常に綺麗です。

 大連で休日には何をされますか。趣味などがあれば教えてください。

 4年前から家でヨガを始めて、今でも毎日30分から1時間やっています。健康のために良いだけではなく、ヨガをやっていると頭がスッキリして、新しいアイディアが浮かんだり、問題解決の糸口が掴めたりすることが多々ありました。ぜひ仕事や生活で悩み事がある人こそヨガをやってみると良いと思います。

 仕事をする上での信念を教えてください。

 「偶然は必然」ということです。1パーセントの可能性があるのなら、100回やれば必ず実現出来るという意識です。たとえ可能性が低くても努力して続けることが大切です。
 とくに中国の事業は粘り強さが重要です。信頼関係が日本以上に大切であり、関係性を築くまでは日本人の感覚ではつまずくこともあります。しかしお互い信頼しあえる関係があれば、物事が非常にスムーズに進む“ボーナスステージ”のような段階が待っていますので、そこにたどりつくまで粘り強く続けるのです。

 これまで注力された取り組み、また今後注力したい取り組みについてお聞かせください。

 仕事を通じて中国の人にもっと魚を通して季節を感じてもらい、新鮮な魚の美味しさと旬を知ってもらうことです。弊社の日本市場への供給が100としたら、中国市場はまだ10にも及びません。これはまだまだ伸びしろがあるということであり、中国市場にこれからもっと海の魚を食べる文化が広がっていくと思います。
 コロナ禍には新たな商機があります。食品産業においては「巣篭もり需要」がそうです。日本では冷凍食品や缶詰といった保存や簡便性に優れた食品から、材料や料理キットなどのホームメイド需要へと変わってきています。中国ではコールドチェーン、ネット決済がさらに発達し、そこに作り方や食べ方を伝えるDouyin(中国版TikTok)などの動画配信サービスが加わり、新しい食文化への関心が高まっています。この変化の流れをしっかり掴んで、中国の方々に、海のお魚の「鮮度」や「旬」をお届けしていきたい思っています。