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billibilli
インタビュー
2022年5月6日

どんな状況にあっても活発な民間交流を
友好が進めば国境も意味がなくなるはず

【プロフィール】

神戸大学名誉教授
東亜大学アセアンセンター所長

西澤 信善(にしざわ・のぶよし)氏

大阪府出身。神戸大学大学院修了。アジア経済研究所(現在の日本貿易振興機構アジア経済研究所)、広島大学、神戸大学大学院、近畿大学などを経て現職。アジア市場経済学会の元会長。著書は『カジノ戦争』、編著書は『メコン地域開発とASEAN共同体 -域内格差の是正を目指して』『東アジア経済の変容 -通貨危機後10年の回顧』『アジア経済論』『ラオスの開発と国際協力』『東アジア経済と日本』など。「大阪カジノに反対する市民の会」の代表も務めている。博士(経済学)。

中国に関心を持つようになったきっかけは。

私はアジア全体に関心を持っていました。中心は東南アジアですが、中国にももちろん関心を寄せていました。学生時代から、中国の歴史が好きでした。中国は「凄い歴史の国だな」と思っていました。漢詩も好きでした。中学校の教科書には魯迅の「故郷」が載っており、その時に魯迅を知りました。大学院時代にも、魯迅を読みました。中国の文化や歴史には、昔から興味がありました。

初めての中国訪問は、いつでしたか。

1979年だったと思います。当時、私はアジア経済研究所からミャンマーの日本大使館に出向し、調査員をしていました。その時、外交団の一員として中国を訪問しました。この一行は、ミャンマー勤務の各国の外交官で構成されていました。ヤンゴンから昆明に入り、武漢、南京、上海、北京を訪問しました。上海の公園(現在の魯迅公園)に行った時、魯迅の銅像を見て、いたく感動しました。ただ、この外交団で魯迅を知っているのは私だけでした。帰りの飛行機では、隣の人と筆談しましたが、とても字がきれいで、中国は「文字の国なのだな」と感じたものでした。約1週間の忘れられない旅となりました。この旅で、中国への関心が増しました。

大連との縁は、いつからでしょうか。

初めての大連訪問は、大連民族学院の式典に参加した時でした。この時は、簡単な講演や意見交換をしましたが、その後の発展はありませんでした。今に繋がる大連との交流が始まったのは、2回目の訪問からで、それは2014年3月でした。この時は、アジア市場経済学会のスタディツアーで大連を訪問しました。東北財経大学と学術交流をし、日本側は私が報告、中国側は労働経済学を専門とする張抗私先生が報告しました。これが、大連との長い付き合いの始まりとなりました。当時は、こんなにも長い付き合いになるとは思ってもいませんでした。

その後は、どの様な交流がありましたか。

張抗私先生から研究会に招待され、私は何度も大連を訪ねました。私たちも張先生を日本へ呼び、関西財界人の集まりである大阪倶楽部で講演していただきました。また、張先生へ独立行政法人労働政策研究・研修機構を紹介したことにより、張先生は招聘研究員として、日本に3か月間滞在されました。その他、遼寧師範大学の譚皓先生(現在は天津大学)や東北財経大学の方愛郷先生とも交流がずっと続いており、両先生とも日本へ呼び、講演していただきました。方愛郷先生のお弟子さんも、日本へ招待したことがあります。

その他にも、印象的なことはありましたか。

2020年9月には、前田妙子さんの著書『朝陽 いっぱいのありがとう』の中国語版を、大連理工大学出版社から出版しました。翻訳は、大連外国語大学出身の項琳琳さんです。前田さんは、豊中高校の同窓生なのですが、病院ボランティアとして闘病生活を送る子供たちと交流していました。その中に、難病のために9歳で亡くなった朝陽ちゃんもいました。その朝陽ちゃんとの日々を綴ったのが同書です。とても感動的な内容で、出版後は評判となり、テレビでも紹介されました。ぜひ中国の方々にも読んでいただきたいと思い、翻訳出版を計画し、出版社の理解もあり、出版が実現しました。それ以外にも、日本側が大連を訪ねたり、大連で講演会を開いたりしました。こんなにも深い繋がりができ、交流が続いているのは珍しいのではないかと思います。

さて、昨今のアジア経済をどの様に見ていらっしゃいますか。

私は、第二次大戦後のアジア経済を、3つの時期に分けて考えています。第1期は、1945年後半から1990年前後までの冷戦の時代。第2期は、1990年から2010年までの相対的安定期。第3期は、2010年から現在までです。冷戦の時代、アジアの経済大国は日本だけであり、日本一極でした。この時期、中国も改革開放へ舵を切りました。相対的安定期になると、中国は高度成長を達成し、東南アジアは地域統合で力をつけ、インドも成長の隊列に入ります。その反面、日本は停滞します。日本一極の状態から、アジアは多極化しました。2010年には、中国のGDPが日本を抜いて、世界2位となります。2010年以降は、中国がアジア経済の中心となり、中国の動向がアジアに大きな影響を及ぼすようになりました。最近の中国は、成長率が落ちていますが、これは政策不況によるものであり、日本のバブルとも似ていると思います。また、中国は対外進出も強めていますが、一帯一路は国内の過剰生産の輸出先を確保するためだと考えられますし、RCEP(アールセップ、Regional Comprehensive Economic Partnership Agreement、ASEAN10か国と中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、日本が参加している地域包括的経済連携)も一帯一路と相性が良いと中国は判断していると思います。

今後の展望はいかがでしょうか。

現在はイデオロギーで対立しているわけではありませんが、ウクライナとロシアの状況を見ても、先鋭的な対立が起きており、冷戦が復活するのではないかとも感じます。情勢が不安定化に向かっていることは確かです。政府間の対立は一朝一夕では良くなりませんので、対立の激化を懸念しています。ですが、どんな状況でも、民間交流は絶やすべきでなく、続けるべきです。民間交流の中心は、経済だと思います。経済の結びつきが強ければ、最悪の対立を防げるのではないでしょうか。

今後の中国と日本の関係には、何を望みますか。

大連の皆さんからは、厚い友情を感じます。大連と私たちの関係や交流は局所的なものですが、こういった繋がりがもっと広がれば良いと思います。例えば、日本には約1750の基礎自治体がありますが、全ての自治体が中国と積極的に交流したら、凄いことになると思いませんか。世界へ目を向けても同様です。平和にもっと金をかけ、各国と強力な友好関係を構築しましょう。そもそも地球はみんなのもののはずですから、友好が進んでいけば、国境も意味がなくなり、自由に行き来したり、相互の大学で学び合ったりできるようになるのではないでしょうか。そうなれば、素晴らしいことです。