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インタビュー
2022年6月3日

音楽は国境をなくしてくれる
二胡の魅力をより多くの人へ

【プロフィール】

二胡奏者・講師

秋山 さくら(あきやま・さくら)氏

群馬県高崎市出身。3歳からピアノを始め、その後、バイオリンとクラリネットも学ぶ。地元の芸術大学で二胡を副専攻とし、卒業後に二胡奏者として活動を開始。これまでに、二胡を有川小夜子、姜建華(北京中央音楽院教授)の各氏に師事。アジアを中心に、海外でも音楽交流や指導、演奏会を行っている。2016年、カンボジア皇后陛下80歳記念コンサートにソリストで参加。2017年、糸魚川大火復興チャリティーコンサートを開催。2018年、陸前高田市で演奏会を開催。2019年7月、1st Album「Emerge …Still life goes on…」をリリース。現在は、群馬を拠点に演奏活動を続けながら、二胡教室「夢弦」でも教えている。

二胡と出会うまでは、どんな楽器を弾いていたのでしょうか。

3歳でピアノを始めました。1997年、高崎市の市政100周年を記念して、「高崎100周年記念ジュニアオーケストラ」(現在の「高崎市少年少女オーケストラ」)が設立されますが、その時、第一期生として入団しました。最初、オーケストラではバイオリンを担当し、その後、クラリネットに転向しました。クラリネットは中学、高校と続け、大学でもクラリネットを専攻しました。大学で、二胡と出会いました。副専攻の楽器として、二胡を始めました。

なぜ副専攻で二胡を選んだのでしょうか。

大学では、西洋楽器以外を副専攻で選ぶ必要がありました。正直に申し上げると、あまり興味はなかったのですが、当時は女子十二楽坊が人気で、「あれらの中から選ぶなら二胡かな」と軽い気持ちで決めました。ですが、二胡にどんどん引き込まれて、クラリネットよりも二胡を練習するようになり、成績も二胡の方が良くなりました。そうして、卒業後も二胡の道を歩んでいます。

二胡の魅力は何でしょうか。

音色です。二胡の音色には魅了されました。二胡の音色は、よく「哀愁ただよう」と言われますが、それだけで表すのはもったいないくらいです。二胡は感情表現が豊かで、ダイレクトに感情を表せます。哀愁の「哀」だけではなく、「喜怒哀楽」の全てを表現できます。

日本では、どんな活動を展開されてきましたでしょうか。

奏者としては、群馬を中心に演奏活動を続けていますが、2017年には「糸魚川大火復興チャリティーコンサート」を開き、2018年には東日本大震災の被災地である陸前高田市で演奏会を開きました。講師としては、楽器店の音楽教室で教えていましたが、コロナ禍の影響で閉鎖となってしまいましたので、2020年7月に自身の二胡教室「夢弦」を始めました。また、日本中国友好協会前橋支部の二胡教室でも教えています。

強く印象に残っている活動はありますか。

「糸魚川大火復興チャリティーコンサート」です。実は、私は糸魚川市と縁があり、何度も訪れており、演奏もしていました。大好きな街で、第二の故郷とも言えます。そんな糸魚川で、2016年12月22日に、大火災が発生しました。出火から約30時間も燃え続け、147棟が焼けてしまいました。数か月後、現地へ行きましたが、見慣れた景色は変わり果てていて、胸が痛み、言葉を失いました。「私にできることはないか?」と考えましたが、私には演奏しかできません。呆然と焼跡に立っていた時、私の中で旋律が浮かんできました。それが、私の初めて作曲した曲となりました。そして、糸魚川でチャリティーコンサートを開き、CDも作りました。義援金も、お届けすることができました。

そうして、1st Albumの「Emerge …Still life goes on…」が誕生したわけですね。何か秘話はありますか。

CDだと全て器楽曲ですが、実は8曲目の「…Still life goes on…」には歌詞もあります。糸魚川の合唱団とコラボし、歌っていただいたこともあります。焼跡で浮かんできた旋律が、この「…Still life goes on…」です。英語を直訳すると「人生は続く」ですが、少し意訳をして「それでも生きていく」という意味を込めています。前後の「…」は過去と未来を表しており、過去と未来が繋がっていくことをイメージしています。CDには、有名な中国民謡「茉莉花」も収録していますが、他の曲は全て自作です。

海外での活動はいかがでしょうか。

高崎のオーケストラが海外との交流に積極的でしたので、東南アジアを中心に、カンボジアやタイ、ベトナム、ラオス、ネパール、バングラデシュ、韓国、フランス、チェコ、イギリス、もちろん中国も訪ねました。カンボジアでは皇后陛下80歳記念コンサートで二胡を演奏し、チェコではプラハのスメタナホールで演奏しました。これらは、印象深い思い出です。

中国での思い出はありますか。

上海万博の際、ネパールのパビリオンで演奏する機会があり、その時は南京も訪れました。南京は歴史的なこともあり、人々は日本を悪く思っているのではないかと不安で、「仲良くできるかな?」と思っていました。南京の大学生と交流し、一緒に演奏しましたが、音楽を一緒にやっていると、自然と楽譜を通して友達になれました。この時、「音楽は国境をなくしてくれる」と実感しました。テレビなどを通し、私たちは中国の悪い面ばかりを見せられているかもしれません。ですが、先入観をなくして関われば、友達になれますし、仲良くできます。そんな現実を、音楽を通して経験しました。また、南京の大学生と「茉莉花」を演奏した時は、お客さんが歌い出しました。群馬での出来事ですが、高崎駅で演奏していた時は、中国人のおじさんが足を止めてくださり、言葉ではうまく交流できませんでしたが、私が「茉莉花」を演奏すると、涙を流して聴いてくださいました。「茉莉花」は、中国の方々にとって、とても大切な曲なのだなと感じています。

姜建華さんやチェンミンさんとの交流はいかがでしょうか。

姜先生は、私の恩師です。コロナ禍の前は、姜先生が来日の際、東京に通ってレッスンを受けていました。今も、オンラインで指導を受けています。姜先生の門下生が集まり、揚州でコンサートを開いたこともあります。私が初めて買った二胡のCDはチェンミンさんのCDで、チェンミンさんが群馬でコンサートを開いた際は、共演させていただきました。姜先生は神様のような存在で、中国には素晴らしい二胡奏者がたくさんいます。中国の伝統や良さを学びつつ、演奏には自分らしさも取り入れたいと思っています。音楽は自由ですから。

最後に、今後の目標をお願いします。

素晴らしい中国の楽器である二胡を、多くの人に知っていただきたいと思っています。そのために、色々な場で演奏していきたいと考えています。福祉施設などでの慰問演奏にも関心があります。また、中国の良さを日本へ伝えたいと思っています。コロナ後は中国へも行きたいですし、日本に暮らす中国の方々とも交流したいと思っています。中国の文化を知り、両国の友好に関わる活動にも参加したいと考えています。音楽に、国境はありません。